今日が旅行の実質的な最終日。残された時間はあまりないが、昨日の砂丘がとてもよかったので今朝再訪することにする。その途中、まずビーティーにほど近いライヨライト(Rhyolite)というゴーストタウンに寄り道。草もまばらな石だらけの緩斜面に広がる町の廃墟は大部分が更地に戻っているが、何とか形を留めている建物がいくつかある。その中でも、駅のような石積みの建物は保存状態が比較的良好で、窓こそ板で塞がれているものの、煙突やカーブした屋根、字の消えた看板などが残っていて、鉱山の富を求めてたくさんの人が群がっていた当時に思いを馳せる。
　もう一つ、ここでの見ものは、町中にさりげなく置かれたゴーストの像である。白いゴーストが自転車を押しているような生活観のある像は、怖いというよりとても牧歌的だ。ゴーストタウンすなわち幽霊の棲家というジョークを再現してしまうあたり、いかにもアメリカらしい楽しい発想だと思う。

　ライヨライトを一通り見物した後、再び峠の急坂を下ってデスバレーに入り、砂丘にやってくる。すでに太陽は高く上っていて、光線状態が異なるだけで同じ場所でも受ける印象はずいぶん違う。
　そしてとても暑い。また、空気がとても乾燥しているので、まるでドライヤーの風を受けているような感じがする。まだ五月上旬にしてこの暑さ、真夏は恐ろしく過酷な環境になるというのもうなずける。

　次にいよいよ公園の中心部に向かって谷の中を南下。砂利道に分け入った少し先、不規則に凸凹した灰色の泥の表面を白い塩の結晶が覆っている異様な風景が現れる。どう考えても人間の役に立つ使い道がなさそうな究極の荒地に、悪魔のゴルフコースとは面白い名前を付けたものだと感心する。
　そして悪魔のゴルフコースのすぐ南に、南北アメリカ大陸で最も低い土地、バッドウォーターがある。海抜-85ｍは私にとっても今までの最低点であり、達成感もひとしおだ。
　干上がった湖に塩の結晶がたまった白い平原が広がる雄大な風景は、過酷な土地ならではの美しさがある。ただし、今日は昨日に増して埃っぽく、向こうの山脈が霞んでうっすらとしか見えない。写真等では遠くの山までくっきり写っているものも見かけるが、そんな気象条件にめぐり合えなかったのはちょっと残念だ。
　それに、さすがに暑い。しばらく写真を撮ってから車に逃げ込んでエアコンをかけてようやく一息ついた。

　バッドウォーターを出たのは12時を回った頃。もともと今日乗る予定だったロサンゼルス行きの飛行機はラスベガス14:05発なので、とうてい間に合わない。しかし、日本では決して見られないデスバレー砂漠を見ているうちにもっとゆっくり見たくなり、便数が多いのだから夕方か明朝の便に変更してもらうか、変更できないなら最悪買い直せばいいやと軽く考えてのんびり観光を続けた次第。後にこれがケチのつき始めとなるのだが、その時は夢にも思わなかったのである。

　とは言え、デスバレーに留まり続けるわけにもいかず、惜しみながらラスベガスの途につく。復路は南側の州道178号線経由のルート。バッドウォーターから続く谷底の平地をしばらく走ったあと、次第に高度を上げて山道にさしかかる。この山道、沿道に人家が全くなく、通る車も皆無。前後に延びる舗装路以外に文明の存在を感じさせるものもない。車を停めて風のない青空の下、聞こえる音もなく静まり返った荒野に身を置くと、今自分の半径数km以内に誰も人がいないのではないかと思えてくる。それくらい孤立感の強い所である。
　上機嫌で車を走らせているとようやくショショーニという村に着き、そこからは車やバイクも見かける普通の田舎道、さらに交通量の多い州道160号線に合流と、段々俗世間に帰ってきた感じがする。そしてラスベガス空港でレンタカーを返して、ターミナルビルへ向かう。

　もう旅行も実質的に終わり、後は飛行機を乗り継いで帰るだけとなった。初の海外での運転も無事故で終わったし、ここで一気にほっとした気分になって緊張がほぐれ、何とはなしにズボンのポケットに入れていたパスポートをリュックの後ろポケットに移してしまう。これが第二の、かつ最大の失敗なのだが、まだその時点でも気づいていなかった。
　とりあえずアメリカウェスト航空のカウンターで申し出ると、変更は可能だが今日の便は満席で明朝の便になるとのこと。さっそく手続きを済ませ、係員に示したパスポートを変更後のEチケットと一緒にリュックに入れ、カウンターを離れた。

　フライトが明日になったため、今晩ラスベガスに泊まる必要がでてきた。とりあえず空港の案内所で、ここから近くて高くないホテルを探して電話し、タクシーに乗る。向かうのはゴールデンパームホテル、前回泊まったトロピカーナの交差点から少し西、インターステートを越えた所なのでわりと便利だ。
　そしてホテルに着き、いざチェックインと、パスポートを取り出そうとしても出てこない。違う場所に入れたのかと思って探しても見当たらず、しまいには荷物全部をひっくり返してみてもどこにもない。
　一気に全身の血の気が引いた感じになる。パスポートを失くした！！これがないと日本に帰国することもできない。空港のカウンターや付近で誰かが近づいてきたこともないので、スリにあったとは考えられない。多分リュックの後ろポケットに入れたつもりが入りきらず、そのまま落とすか何かしてしまったのだろう。そのままズボンの前ポケットに入れていれば失くすことなどなかったのに。観光は終わっても家に帰るまで旅行は続いている、そのことを忘れて油断してしまったのが悔やまれる。しかし、後の祭りだ。

　いつまでもくよくよしていたところで、パスポートが戻ってくるわけもない。とりあえず、気を取り直してこれからすべきことをしなくてはならない。ホテルはチェックインさせてくれたので、まず、空港へ戻ってみる。もしかしたらカウンターに置き忘れただけかも知れないと淡い期待を抱いたが、残念ながらそこにはなかった。また、落し物案内所にも届けられていなかった。
　こうなれば戻ってくる望みはない。警官の詰所に行って事情を話す。この時どんなことをことをしゃべったのか、全く記憶にない。とにかく考えられる英語を駆使して状況を説明したのだろう。とりあえず紛失届の受理書を渡された。
　次は領事館への連絡だが、ここラスベガスには日本の領事館がない。明日ロサンゼルスの総領事館に行き、そこで帰国のための渡航書を発給してもらう必要があるが、発行までの期間がわからない。いずれにしろ明日の便で帰国することは無理なので、職場に電話してその旨伝えなければならない。
　次第に暗くなってくる中、公衆電話を探すが、クレジットカードは受け付けないのでテレホンカードを買う。こちらのカードは券面に書かれた番号に電話をかけ、暗証番号を入力する方式なので面倒くさい。幸い日本時間は月曜の朝、職場に電話をかけ、パスポートを失くしたので帰国が数日遅れることを伝える。受話器の向こうの係長はとても心配した声だったため、犯罪に巻き込まれたわけではないので無事なこと、帰国日がわかり次第再度連絡することを付け加えて電話を切る。
　さて、今日できることはここまで。ホテルに帰り、シャワーを浴びて静かに床に就く。

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